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2月, 2021の投稿を表示しています

あわれみ深い大祭司(へブル2:14-18)

「あわれみ深い大祭司」 ヘブル 2 章 14 ~ 1 8節   お祈りします。天の父なる神さま、御名が崇められますように。聖霊によって神の言葉を私たちの内に照らし、今日もまた、御言葉の内に生けるキリストと出会うことができますように。人となられた救い主キリスト・イエスのお名前によってお祈りします。アーメン! はじめに   私は子どもの頃は体が丈夫で、スポーツ好きでしたので、性格にもずいぶん影響して、牧師になっても、若い頃は明るく元気な牧師でした。牧師が明るいのは良い事ですが、時折り言われたのは、「先生には病む人の気持ちは分からないでしょう」と。そう言われると、言葉を返せなかったのを覚えています。   その後、宣教師になって、多少なりとも病むことを経験しました。異文化のストレスで心も体も病み、宣教師二年目に帰国療養したこともありました。あれ以来、以前には分からなかった人の痛みが多少分かるようになった気がします。まあ、それが年を重ねるということなのかもしれませんが。 そうは言っても、人の痛みがすべて分かるようになるというのは土台無理な話です。花田兄が二月十日に手術を受けられましたね。コロナ禍ですので、奥様も付き添えず、たった一人で手術室に向かいました。どんなに心細かったかは、ご本人しか分からない。唯一の慰めは、キリストが共におられるという、このことだけだと思います。   1.     すべての点で この朝は使徒信条二番目の項目、人となられたキリストを思いめぐらします。「主は聖霊によりて宿り、処女マリヤより生まれ」という部分です。なぜキリストは、人となる必要があったのか。   17 節「したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。」      17 節は、実はヘブル書全体の中心とも言われる個所です。中でも特に「すべての点で兄弟たち(つまり私たち人間)と同じようにならなければなりませんでした」という部分に今朝は注目します。   すべての点で私たちと同じようにならなければ、というのですが、なぜでしょう。そのヒントが、少し戻って 11 節にあります。「聖とする方も(これは私たちを聖くするキリスト)、聖と

前進し続ける宣教(使徒の働き14:1-7)

  「前進し続ける宣教」 使徒の働き14:1-7   さてパウロとバルナバはピシディアのアンティオキアを後にして、イコニオンに向かいました。イコニオンはアンティオキアから南東に 150 キロほど行ったところにある地方都市です。そしてそこでも「同じこと」が起こったと、ルカは言っています。どういう点が「同じこと」だったのでしょう。 ① ユダヤ人の会堂で説教した。 ② そのメッセージを聞いて、ユダヤ人もギリシャ人も大勢の人が信じた。 ③ 信じようとしないユダヤ人が地元の異邦人たちを先導してパウロたちを迫害した。 ④ そしてその町から追い出した。 ⑤ パウロたちは次の町に行って宣教を続けた。以上の5点です。けれども前とは違うところもあります。一つは、彼らが「長く滞在した」ということです。長くというのがどれぐらいなのかわかりませんが、数カ月から半年だったと言われています。そしてもう一つは、「しるしと不思議」が伴う、「恵みのことば」が証しされたということです。おそらく前のアンティオキアよりも時間があったで、癒しなどの奇蹟を行うことができたということでしょう。 パウロは前の宣教地を追い出されたとは思えないような喜びと聖霊に満たされて、意気揚々とこのイコニオンの町に入って行ったようです。二世紀に書かれた書かれた「パウロ行伝」という外典には、イコニオンの住人オネシポロが町に入ってくるパウロの風貌を描写した記事があるので紹介しましょう。「小柄な男で、眉毛が寄り、割に大鼻で、頭は禿げ、ガニ股で、頑丈な体格で恵みに満ちていた。彼は、時には人間らしく見え、時には天使の顔つきをしていた。」 こんなパウロの風貌を想像しながら、ここでの宣教活動の様子を見ていきたいと思います。   「二人がユダヤ人の会堂に入って話をすると、ユダヤ人もギリシャ人も大勢の人々が信じた。ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちを扇動して、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。」(1b- 2 節) ここでもパウロの説教を聴いて、ユダヤ人ギリシャ人を問わず、大勢の人々がイエスさまを救い主と信じました。そしてこれもまたアンティオキアの時と同じく、信じようとしないユダヤ人たちもいました。そしてこの人たちは異邦人たちを扇動して悪意を抱かせるようにしたのです。 日本も江戸時代末期における「耶蘇教」に対

主のことばの広がり(使徒の働き13:44~52)

  「主のことばの広がり」 使徒の働き  13 章 44 ~ 52 節    先週まで 3 週間にわたって、ピシディアのアンティオキアのユダヤ人の会堂でなされた、パウロの説教を紐解いて来ました。こうしてパウロの説教が終わり、その地方に住む特に異邦人たちが喜んで、来週もぜひここで同じ話しをしてくださいとお願いするのでした。同じ話を!というからには、自分はもう聞いているので、自分の家族や友人にも聞かせたいからということでしょう。彼らの口コミはものすごい勢いで広まり、なんと次の週は、ほぼ町中の人がその会堂に集まったというのです。おそらく補助いすを全部出しても足りず、立ち見が出て、会堂の外まであふれるぐらいの人々だったと思います。集まった人々は八百屋のおかみさんや床屋の親父さんなど、ありとあらゆる人たち、つまり庶民でした。 ところがユダヤ人たちはそれが面白くなかったようです。「ユダヤ人の会堂」なのに、ユダヤ人以外の外国人に占拠されたのが気に入らなかったのでしょうか。彼らはそれまでもその地域でユダヤ教を広めるために熱心に伝道していました。そして一定数の外国人改宗者も獲得していたのです。しかしこの外国人改宗者たちは、ユダヤ教の高いハードルをクリアできるような教養のある、町の有力者、品行方正な町でも評判のいい人たちだったようです。しかし今回集まってきた人たちは、ユダヤ人たちが好む人々ではありませんでした。またパウロの人気も気に入らなかったようです。パウロは、説教の中で、あからさまに自分たちの祖先を非難するようなことを言ったのです。ユダヤ人たちを「聖書読みの聖書知らず」と批判し、「あなたたちが救い主イエスを殺したのだ!」と指摘したのです。そして律法を守る者ではなく、イエスを信じる者が義と認められるという。彼らにとっては、とんでもないメッセージだったのに、その地域に住む多くの人々は、これはグッドニュースだと家族や知人を誘い、そのパウロの説教を聞きに来た…、それがおもしろくなかったのです。 45 節 「この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。」 とあります。このままパウロがこの地方にいては、人々はみなパウロについて行ってしまう。ひょっとしたらせっかく獲得した外国人改宗者たちやユダヤ人たちさえもパウロについて行ってしまうかもしれない

神の恵みにとどまるように(使徒の働き13:26-43)

  「神の恵みにとどまるように」  使徒の働き13:26-43 パウロの説教の前半では、旧約聖書のストーリーを通して、人間の不真実を超えて働く神の真実が語られていました。そして次は旧約聖書からイエス・キリストへとつなげるつなぎ役として、ヨハネのことに言及。そしてとうとう後半のクライマックスでイエス・キリストの「救いのことば」が語られます。「 13:26 アブラハムの子孫である兄弟たち、ならびに、あなたがたのうちの神を恐れる方々。この救いのことばは、私たちに送られたのです。」 はじめにも言いましたが、ここには二種類の会衆がいました。「アブラハムの子孫である兄弟たち」つまりユダヤ人。そして「あなたがたのうちの神を恐れる方々」、これは外国人の改宗者あるいは求道者のことです。パウロは、説教を始めるにあたり、二種類の会衆に語りかけ、この「救いのことば」は、ユダヤ人だけではなく、異邦人にも、そして世界中の全ての人にも開かれていることを告げてます。   27 節以降のパウロの説教を 3 つに分けて見ていきたいと思います。 1,      イエス・キリストの受難と十字架( 26-28 節) 「エルサレムに住む人とその指導者たち」がイエスを認めず、罪に定め、ピラトに死刑を求め、十字架につけたのだとパウロは訴えます。エルサレムは、「平和の町」という意味です。 「聖なる都」「王の都」「主がご自分の名をおくためにイスラエル全部族の中から選ばれた都」 (Ⅰ列王 14:21 )です。ところがその都に住む人々とその指導者たちは神の御子であるイエス・キリストをこのエルサレムで、十字架につけて殺したのです。マタイの福音書 23:37 では、イエスさまはエルサレムに向かって嘆きのことばをつぶやいています。 「エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。」  エルサレムは、神に特別に選ばれ、寵愛を受けて来たのに、なぜ神の御子を十字架につけたのか。理由は二つあります。 ① 預言者たちのことば(聖書)を理解していなかったため  ② 預言を成就させるためです。彼らは安息日ごとに聖書の朗読を聞き、子どもの頃から聖書を暗