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エニシダの木の下で(Ⅰ列王記19:1~8)

 

「エニシダの木の下で」
Ⅰ列王記19:1~8
説教者:木田友子実習生

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兄息子への愛                                         日 時:2023年7月16日(日)10:30                場 所:新船橋キリスト教会                                         聖 書:ルカの福音書15章25~32節   1 ルカの福音書15章について  ルカの福音書15章では、イエスさまが3つのたとえをお話しになります。そのうちの3番目に「2人の息子のたとえ」があります。今日は、兄息子のたとえを中心にお読みいたします。  イエスさまが3つのたとえをお話しすることになったきっかけが15章1節から3節に書かれています。取税人たちや罪人たちがみな話を聞こうとしてイエスの近くにやってきました。その様子を見ていた、パリサイ人たちや律法学者たちがイエスを批判します。「この人、イエスは罪人を受け入れて一緒に食事をしている」と。そこで、イエスはパリサイ人たちや律法学者たちに3つのたとえ話をしたのです。  その結論は、最後の32節に書かれています。   「 だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」 イエスさまが3つのたとえをとおしてお語りになりたかったのは、「取税人や罪人がイエスのもとにきたことを喜び祝うのは当然ではないか。」ということです。1番目のたとえでは、失われた羊、2番目のたとえでは失われた銀貨が見つかりました。3番目のたとえでは、弟が死んでいたのに生き返りました。大いに喜ぶのは当然です。イエスさまは、3つのたとえを用いて、神さまから離れてしまった魂、すなわち、取税人や罪人が神さまのもとに帰ってくることの喜びがいかに大きいかをパリサイ人や律法学者に伝えることで、彼らの批判に答えたのです。 2 兄息子の不満   さて、3番目のたとえでは、前の2つのたとえとは違うところがあります。それは、25節から32節に書かれている兄息子の存在です。兄息子は、いつも父親に仕えていました。弟が帰ってきたその日も畑にいました。一生懸命に仕事をしていたのでしょう。ところが、兄息子が家に帰ってきますと、音楽や踊りの音が聞こえてきました。なんと、弟が帰ってきたというの
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