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8月, 2022の投稿を表示しています

日ごとに十字架の前に(マタイの福音書6:9〜12)

「日ごとに十字架の前に」(マタイ 6:9 ~ 12 )    前回は、主の祈りの第四の願い、「日ごとの糧を、今日もお与えください」でした。私たちはこれを日ごとに、毎日繰り返し、糧を与えてくださる神への信頼を新たにしていくのだと。信仰は貯め置きできない、生もの。だから、日々これを祈りましょうと、一緒に確認をしました。  このような日々の祈り主の祈りの真ん中に置かれている。それは、主の祈りそのものが、日ごとに、毎日祈られるものであることを教えています。   1.      日々赦しを祈る  そうです。私たちは主の祈りを、毎日、日ごとに祈る。それは、本日の第五の願いも同じです。  「私たちの負い目をお赦しください」。 負い目とは、借金ですが、これは私たちの罪を指すものです。罪とは、神さまに対して私たちが負っている借金、負債なのだと、イエスさまは教えてくださいました。私たちは、これについても日々、繰り返して祈るのです。  毎日祈るということは、その日、心に思い当たる具体的な「罪」があってもなくても、ということです。もちろん、思い当たる罪があれば当然それを祈りますが、たとえ具体的に思い浮かばなくとも、神の子どもたちは祈るのです。「私たちの負い目をお赦しください」と。    これは何を意味するのでしょう。 私たちは、たとえ思い当たることがあってもなくても、自分が、神の前にひとりの罪人であることを知っている、ということです。私たちは、罪人として神の前に存在している。しかも、毎日繰り返して祈らなければならないほどに、深刻な罪びとなのです。 確かに聖書の第一ヨハネ1章にも、「もし罪を犯したことがない」と言うなら、それは神を偽りものとすることだとあるように、私たちは、意識するかどうかは別として、思いと言葉と行いにおいて、罪を犯さない日は、一日たりとてない。神の子どもは、自分が神の前に、深刻な罪びとであることをよく知っているのです。  だから、この祈りを口にする度、私たちは自分が罪びとであることを自覚します。 それはもちろん、嬉しいことではないでしょう。時には、これを祈るのがしんどいこともあるでしょう。 でも、それでも心折れることなく、日々これを祈ることができるのは、イエスさまの十字架のおかげです。 イエスさまは、私たちが、これを毎日祈り続ける

義と平和は口づけし(詩篇85:1〜13)

『義と平和は口づけし』  詩篇 85:1-13 (朝岡 勝 師)    夏の盛りを過ぎ、暑さの中にも少しずつ季節の変化を覚える日々を迎えています。8 月第三主日のこの日を平和記念礼拝として覚え、ともに御言葉に聴く時が与えられて 感謝します。詩篇の御言葉に教えられながらキリストの平和に生きる思いを新たにさ せていただきましょう。皆さんお一人一人に、またこの社会に主の祝福と平和がある ように祈ります。  ①回復と平和のための祈り   今朝与えられている御言葉が詩篇 85 篇、特に 10 節、11 節に心を留めたいと思いま す。「恵みとまことはともに会い、義と平和は口づけします。まことは地から生え出で、 義は天から見下ろします」。ある翻訳聖書には「回復と平和のための祈り」とタイトル が付けられています。この詩篇は南ユダ王国がバビロン帝国によって滅ぼされ、捕囚 の民として連れ去られ、その後、苦難に満ちた日々を過ごした後にようやく捕囚から 解放されたイスラエルの民が、神の恵みを感謝のうちに振り返りつつ、そこで今、直 面している困難について神に救いを求める祈りです。  「恵みとまことはともに会い、義と平和は口づけする」。他の翻訳聖書では「慈しみ とまことは出会い、正義と平和は口づけする」、あるいは「義と平和は抱き合う」と訳 す聖書もあります。「出会う」。「口づけする」。「抱き合う」。これらの言葉が特に心に 響きます。心がすれ違い、互いにきちんと出会うことができず、あやまった先入観と 相手に対する恐れや疑心暗鬼、それらが産み出す憎しみによってわかり合えない社会 が私たちの周囲に拡がっています。所詮、世の中はそんなものだという諦めの心が私 たちのうちにも浮かんで来ます。けれども聖書は、慈しみとまことは出会い、正義と 平和は口づけすると語る。詩的な表現ですが、だからこそこの言葉によって引き起こ されるイメージを私たちは大切に受け取りたいと思うのです。   詩人は 1 節から 3 節で、かつて自分たちを捕囚から解放してくださった神の恵みの 御業を振り返っています。「主よ、あなたはご自分の地に恵みを施し、ヤコブを元どお りにされます。あなたは、御民の咎を担い、すべての罪を、おおってくださいます。 あなたは、激しい怒りをすべて収め、燃える御怒りから身を引かれます」。そしてこの 恵みの振り返

何者なのか、何をしたのか(使徒の働き21:31〜40)

「何者なのか、何をしたのか」 使徒の働き21:31~40 パウロは五旬節の期間をエルサレムで過ごしました。パウロについてのあらぬ噂がユダヤ人の間で広まっていることをと知っていたエルサレム教会の兄弟姉妹は、パウロを守るために一つの提案をしました。それは誓願を立てている 4 人のユダヤ人を神殿に連れて行って、そこで頭を剃る費用を出してあげるとよいというものでした。そしてパウロは、言われるがまま、それを実行するのですが、パウロを殺そうとたくらんでいたアジアから来たユダヤ人たちが、パウロと同行している人々の中に、異邦人がいると誤解して、「パウロは異邦人を神殿に連れ込んだ!」と大騒ぎしたのでした。それはけしからんということで、ちょうど神殿に居合わせたユダヤ人たちは、殺気立って騒ぎ出し、パウロを打ち叩き始めたのです。まさに集団リンチ状態です。   ところが、この騒ぎはすぐにローマ軍の千人隊長のところに届きました。あとの23章26節を見ると、彼はクラウデオ・ルシアという名前だったことがわかります。当時エルサレムは、ローマの支配にあったことは皆さんご存知だと思うのですが、実はエルサレム神殿のすぐ北に「アントニアの塔」といわれる塔があり、そこにローマ軍が駐屯していたのです。ローマ軍は、特にユダヤ人の祭りの期間は、目を光らせていました。何しろ大勢の外国に住むユダヤ人たちがエルサレムにやって来る期間です。外国に住みながら遠路、巡礼にくるユダヤ人たちはみな、信仰に熱心なばかりか、「我ら神に選ばれし民」という、強烈なナショナリティーを持っています。ですからちょっとしたきっかけで、そのナショナリティーに火が付き、占領軍ローマに歯向かうような暴動が起こるとも限らないのです。 そして、まさにこの時、恐れていた暴動が起こったと思いました。千人隊長は自ら多くの兵士たちと百人隊長たちを率いて、暴動の現場に駆け付けたのです。危機一髪でした。あとちょっと遅ければ、パウロは殴り殺されていたでしょう。神さまのタイミングは、私たちの目には、いつも遅くうつるのですが、決して遅すぎることはないのです。ユダヤ人たちは、ローマ兵たちがやって来るのを見ると、パウロを打つのをやめました。千人隊長は近寄って、暴動の元となっていると思われるパウロを捕え、二本の鎖で縛るように命じました。これは、パウロの両手がそれぞ

互いに尊重し合う(使徒の働き21:15〜30)

「互いに愛し合う」 使徒の働き21:15~30 カイサリアでアガボの衝撃的な預言を聞いてから数日後、パウロたち一行はエルサレムに上りました。カイサリアの兄弟姉妹はやはり心配で、何人かはパウロの護衛を買って出るつもりで、同行したようです。そして、パウロが泊まる場所も、一般の旅館などよりも、信頼できる古くからのクリスチャン仲間の家の方が安心だということで、キプロス人ムナソンという人の家を手配してくれました。   こうしてパウロたち一行はエルサレムに到着しました。恐らく緊張しながら、エルサレム教会に向かったと思うのですが、エルサレム教会からは、思いのほか歓迎を受けました。ここには書いてはいませんが、困窮するエルサレム教会のためにとピリピ教会から預かった献金を渡しているはずなので、その効果もあったのかもしれません。 こうしてパウロたちは翌日ヤコブの家に行きました。ヤコブは、イエスさまの兄弟であり、ペテロなど使徒からエルサレム教会を引き継いだリーダーです。パウロたち一行は、ヤコブの家に着くと、ヤコブとエルサレム教会の長老たちにあいさつをして、先回エルサレムに来たとき、あのエルサレム会議をしたときから今までに起こった出来事の一つひとつを、事細かに語り始めました。 マケドニアの叫びを聞いて、ピリピに初めて行った時のこと、紫布の商人、リディアとその家族の救い。占いの霊に憑かれた女性のこと。その占い師の悪霊を追い出すと、主人が怒って暴動を引き起こし、パウロとシラスは牢屋に入れられたこと。ところが不思議な平安の中で賛美をしていると、地震が起きて、牢屋の扉がみな開いてしまったこと。牢屋の看守がそれに気づいて自害しようとしたので止めたら、彼がどうしたら救われるのか聞くから、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と答えたこと。事実、その看守の家族はみな救われたこと。そしてアテネでのこと。アレオパゴスの中央に立って説教をしたこと。コリントでのアキラとプリスキラのこと。アルテミス神殿での出来事。そうそう、居眠りをして三階の窓から落ちたユテコのこと。エルサレム教会の長老たちは、これらのパウロの証しを聞いて心から神をほめたたえたのでした。   ところが、そんな恵まれる証し会の後で、ヤコブと長老たちは、最近聞いているパウロについての良くないうわさについて