「試みにあわせず、悪からお救いください」(マタイ 6:9 ~ 13 ) 1. 罪との戦いの現実 今日は主の祈りの最後、六番目の願いに目を留めます。この願いの直接の前提となっているのは、前回に学んだ第五の願いです。 12 節「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。」 この第五の願いが、気づかせてくれるのは、私たちの日常が「罪」との戦いに囲まれているという事です。私たちの身の回りには、いつも罪との戦いがある。 「私たちの負い目をお赦しください」という願い、これは私たち自身が日々神に赦しを願わなければならない罪人であることを思い至らせてくれるでしょう。私たちは、思いと言葉と行いにおいて、罪を犯さない日は一日もない。だから日々、神に赦しを願うのです。 続く願いの後半はどうですか。 「私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。」 私たちは自分自身が罪人で、おまけに周りを見回せば、そこには現実として、私たちを不快な思いにさせる人間関係の軋轢があります。しかもその中で、私たちは、人の罪を赦すことが求められている。神に赦された者として、私たちもまた、人を赦していくのです。 そう、これが私たちの生きる現実です。私たち自身が罪人であり、それでも恵みによって赦されていますから、今度は、他の人の罪を赦していく。 私たちの生活の中には、絶えずこうした罪との戦いがあるのです。 だから、今日の第六の願いです。この願いをもって、私たちは罪から守られるように祈っていくのです。 2. 「試み」の中で知る、人の弱さと不確かさ 13 節「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。」 「試みにあわせないで」との祈りの前半を聞いて、聖書の様々な箇所を思い起こし、一つの疑問を抱く方もおられると思います。 これは、他の聖書箇所と矛盾しているのではないかしらんと、、、。 なぜなら聖書には、神が信仰者に試みや試練を与える実例が少なくないのです。例えば創世記 22 章 1 節にこうあります。「神がアブラハムを試練にあわせられた。」 神がアブラハムを試みて、息子イサクを...
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