「教会はキリストのからだ」(エペソ1: 22 ~ 23 ) 齋藤五十三師 本日は教会総会の日です。教会について思い巡らしたいと、本日の聖書箇所を選びました。エペソ書の教会論を通して、教会の広がり、豊かさを共に分かち合いたいと思います。一言祈ります。 1. 心の目が開かれるように 私が礼拝の司会に立つ時、祈りの中で時折、ルカ福音書 12 章 32 節のイエスさまの言葉を引用しながら祈ることがあります。こういう言葉です。「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」「小さな群れよ」という印象的な語り掛けが、耳に残っておられる方もあるでしょう。 私たちの教会が、人数的には小さな教会であることを覚えながら、私は時々祈るのです。 新船橋キリスト教会は大きな教会ではありません。でも、イエスさまの目には、私たちの教会の可能性が映っています。「父は喜んで小さな群れに御国、すなわち神の国を与えてくださる」と約束してくださったわけですから。 それはパウロの目にもそうでした。パウロは1章 18 ~ 19 節でこう祈っています。 まずは 18 節(読む) 私たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものなのか、それが見えるようにとパウロはまず祈ります。 そして 19 節(読む) 「私たち信じる者に働く神のすぐれた力」、私たちの教会の内にも、神の偉大な力が働いていると、これが見えるように、とパウロは祈るのです。 どうですか。これらはいずれも祈りの中で見えてくる教会の広がりです。 もしまだ見えていないとしたら、私たちが気づいていない、ということなのでしょう。 そのように思うと、新船橋キリスト教会もなかなかに楽しみな教会です。 エペソ書によると、そもそも私たちの教会のルーツはまことに深い。1章 4 節には、「世界の基が据えられる前から」私たちの教会は選ばれていた、とありました。しかも、神の子どもに選ばれていた。 そして、その後の 10 節は言うのです。「時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められる」。 神に選ばれた教会は、時が満ちたある時に...
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