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1月, 2025の投稿を表示しています

平和のために祈る(詩篇122篇)

「平和のために祈る」(詩篇 122 ) 説教:齋藤五十三師    詩篇の中には全部で十五篇の「都上りの歌」があります。 122 篇はその内の一つです。なぜ「都上り」と言うのでしょうか。伝統的には二つの説明があります。一つは、イスラエルの信仰者たちが各地から共に連れ立って、エルサレムの主の宮で礼拝しようと巡礼の旅に出た。その途上で歌ったのが「都上りの歌」であるというもの。もう一つは苦難の歴史に根差した説明です。長らく異国で囚われ捕囚となっていた人々がエルサレムに帰ることをついに許されて歌った歌、それが「都上り」というもの。いずれも意義ある説明だと思います。 なお、この 122 篇には「ダビデによる」ともありますが、実際にこれを作ったのが王ダビデかどうかは分かりません。すでに民間で歌われていた歌を集める中、人々がダビデを記念しながらこの一篇を選んだ、ということもあり得るからです。ですからこの朝はダビデにとらわれず、一人の詩人がこれを歌った。しかも都を目指す巡礼の礼拝者たちが歌い、祈った詩篇として味わいたいと願っています。   お祈りします。天の父なる神さま、神の言葉に耳を傾ける幸いな時を感謝します。どうか聖霊が私たちの心を照らし、この一篇の祈りに込められた信仰を通して、あなたを見上げることができますように。生ける御言葉、キリスト・イエスのお名前によってお祈りします。アーメン。   1.      「さあ、主の家に」 1-2 節(読む)  「私たち」すなわち都を目指してきた礼拝者たちは、今ついに町の門をくぐり、エルサレムにたどり着いたのでした。「私たちの足は あなたの門の内に立っている」という言葉から、礼拝者たちの感動が伝わってきます。感動に浸りながら、詩人は旅立ちのきっかけを振り返ります。よみがえってくるのは、「さあ、主の家に行こう」と声をかけて励ましてくれた主にある信仰者たちの存在でした。  エルサレムにある主の家を目指す。それは、この詩人が一人で思い立ったことではなかった。「さあ、主の家に行こう」と励ます交わりがあるからこその旅立ちでした。こうした主にある交わりの存在は、礼拝者の歩みが決して孤独ではないことを物語っていますね。一人の礼拝者の周りには、その人を励まし支える兄...

人の失敗と神の真実(創世記12:10~20)

「人の失敗と主の真実」 創世記12:10~20 神さまはアブラムに「あなたは祝福となりなさい!」と言われ、アブラムは、その神さまの約束にかけて、慣れ親しんだ故郷を離れ、遠くカナンの地までやって来ました。ところがカナンは神さまが、この土地をあなたに与えると言われた約束の地であったにも関わらず、そこには先住民がおりました。ですからアブラム一行は、そこに定住することはなく、長く寄留者としてこの地で天幕生活をすることになります。それだけではありません。アブラム一行がカナンの地に着くと、その地で飢饉が起こったというのです。今でもそうですが、このパレスチナ地方にはいつも水の問題があり、アブラムの時代も、次の世代のイサクの時代にも、井戸の所有権をめぐって、絶えず地元の人と争奪戦が繰り広げられていました。おそらくこの時も、干ばつによる深刻な飢饉があったのでしょう。アブラムたちは、寄留の民で、土地を所有していたわけではないので、食料はすべて買わなければいけませんでした。またアブラムは多くの家畜がいましたから、その家畜の飼料の問題もありました。羊たちに食べさせる牧草地がなくなってしまったのです。 アブラムは、神さまの召しにしたがって故郷を捨てて出てきたのに、飢饉が起こって食べるのにも困り始めました。私たちは、神さまのみこころの進路選択をするなら、もうあとは順風満帆、すべてが順調にいくと思います。けれどもそうとは限りません。神さまのみこころに従って歩んでいても試練には遭います。神さまは、その試練の中で、私たちが、神さまに信頼し、神さまに必要を求め、信仰の決断をするようにと励ましておられるのです。 アブラムは、この危機の中で、どんな決断をしたでしょうか。10節「その地に飢饉が起こったので、アブラムは、エジプトにしばらく滞在するために下って行った。その地の飢饉が激しかったからである。」アブラムは、常識的な決断をしました。カナンの地が飢饉になったのなら、飢饉のないところに短期間移住すればいいのです。エジプトにはナイル川という大きな河があるので、干ばつの影響を受けにくいと知っていました。また、アブラムたちは今、カナンの地の南側、ネゲブにいました。エジプトはそんなに遠くありません。どうせ流浪の民です。カナンの地からエジプトに流れてもなんの問題もないでしょう。飢饉は永遠に続くわけでは...

祝福の源として(創世記12:1~9)

「祝福の源として」 創世記12:1~9   12章から、後にアブラハムと呼ばれるアブラムの生涯をたどります。アブラムは、選びの民、イスラエル民族の直接的な祖先になるので、この後、彼についてのストーリーは、25章までに及びます。人は神に愛される存在として創造されたのに、神から離れ、自ら滅びに向かって行こうとします。それでも神は見捨てないで、救いのご計画をつないで行くために、アブラム選ばれました。アブラムを通して一つの民族を選ばれ、救いをつなごうとしたのです。いつも言うように、神の選びには、人間の側の理由は必要ありません。のちにイエスさまが、「神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ」とおっしゃっています。神さまの選びは、100パーセント神さまの愛のご意思によるので、私たちは安心して神さまにお任せしておけばいいのです。 さて、アブラムは、まだ若いころ、カルデアのウルというところに住んでいるときに、カナンの地に行くようにとの主の召しを受け、出発しました。そのころの族長は、父テラでした。一族は彼らが所有する家畜や財産を持って、ハランというところまで来ました。目的地は「カナンの地」でしたが、どういうわけかテラ一族は、このハランで途中下車してしまいます。そして、そのままそこに住み着いてしまったのです。なぜ、目的地まで直行しなかったのか。理由はいくつか考えられますが、一番考えられるのは、このハランというところは、自分たちが長く住んできたウルと、文化や宗教が大変似ていたということがあるでしょう。同じ月の神を拝み、経済的にも繁栄し、生活習慣も似ていました。アブラムの父テラは、天地万物の創造主なるまことの神を信じる家系にありました。ところが、長くウルのような異教の地に住む中で、創造主にして唯一の神だけを礼拝し、仕えるという生き方が揺らいでいたのでしょう。異教の習慣や信仰儀礼は、文化や習慣という隠れ蓑を着て、容易に私たちの生活の中に入って来ます。なんとなくまわりと合わせる気楽さのなかで、流されていってしまうのです。日本のような異教の文化習慣の中に生きる私たち信仰者は、身に覚えのある状態かもしれません。そして、ぬるいお風呂からは、いつまでも出られないように、私たちはそこから抜け出せなくなっているのではないでしょうか。 こうして、彼らはハランで...

心から歌って賛美する(エペソ人への手紙5:19)

「心から歌って賛美する」 エペソ人への手紙5:19 今年の年間テーマは、「賛美する教会」で、聖句は、今日の聖書箇所です。昨年2024年は「分かち合う教会」、2023年は「福音に立つ教会」、2022年や「世の光としての教会」、2021年は「祈る教会」、 20 20年は「聖書に親しむ教会」でした。このように振り返ってみると、全体的にバランスのとれたよいテーマだったと思います。そして、私たちが、神さまから与えられたテーマを1年間心に留め、実践しようとするときに、主は豊かに祝福してくださいました。 今年「賛美する教会」に決めたきっかけは二つあります。一つは、ゴスペルクラスです。昨年一年は人数的には振るわなかったのですが、個人的には、ゴスペルの歌と歌詞に感動し、励ましを得た一年でもありました。私の家から教会までは車で45分なのですが、自分のパートを練習するために、片道はゴスペルのCDを聞き、片道は「聞くドラマ聖書」を聞いて過ごしました。たとえば春期のゴスペルクラスで歌った「 He can do anything !」は、何度も私の頭と心でリピートされました。 I cant do anything but He can do anything! 私にはできない、でも神にはなんでもできる。賛美は力です。信仰告白です。そして私たちが信仰を告白するときに、神さまは必ず応答してくださいます。 もう一つのきっかけは、クリスマスコンサートのときの内藤容子さんの賛美です。改めて賛美の力を感じました。彼女の歌う歌は「歌うみことば」「歌う信仰告白」とよく言われるのですが、まさに、みことばと彼女の信仰告白が、私たちの心に強く訴えかけました。   さて、今日の聖書箇所をもう一度読みましょう。エペソ人への手紙 5 章 19 節、 「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。」 「詩と賛美と霊の歌」というのは何でしょうか。「詩」というのは、「詩篇」のことです。初代教会の礼拝では詩篇の朗読は欠かせませんでした。しかも礼拝の中で詩篇を歌うのです。確かにもともと詩篇は、楽器と共に歌われましたから、本来的な用いられ方なのでしょう。今でも礼拝の中で詩篇歌を用いる教会があります。 二つ目の「賛美」は、信仰告白の歌のことです。私たちは礼拝の中...