「平和のために祈る」(詩篇 122 ) 説教:齋藤五十三師 詩篇の中には全部で十五篇の「都上りの歌」があります。 122 篇はその内の一つです。なぜ「都上り」と言うのでしょうか。伝統的には二つの説明があります。一つは、イスラエルの信仰者たちが各地から共に連れ立って、エルサレムの主の宮で礼拝しようと巡礼の旅に出た。その途上で歌ったのが「都上りの歌」であるというもの。もう一つは苦難の歴史に根差した説明です。長らく異国で囚われ捕囚となっていた人々がエルサレムに帰ることをついに許されて歌った歌、それが「都上り」というもの。いずれも意義ある説明だと思います。 なお、この 122 篇には「ダビデによる」ともありますが、実際にこれを作ったのが王ダビデかどうかは分かりません。すでに民間で歌われていた歌を集める中、人々がダビデを記念しながらこの一篇を選んだ、ということもあり得るからです。ですからこの朝はダビデにとらわれず、一人の詩人がこれを歌った。しかも都を目指す巡礼の礼拝者たちが歌い、祈った詩篇として味わいたいと願っています。 お祈りします。天の父なる神さま、神の言葉に耳を傾ける幸いな時を感謝します。どうか聖霊が私たちの心を照らし、この一篇の祈りに込められた信仰を通して、あなたを見上げることができますように。生ける御言葉、キリスト・イエスのお名前によってお祈りします。アーメン。 1. 「さあ、主の家に」 1-2 節(読む) 「私たち」すなわち都を目指してきた礼拝者たちは、今ついに町の門をくぐり、エルサレムにたどり着いたのでした。「私たちの足は あなたの門の内に立っている」という言葉から、礼拝者たちの感動が伝わってきます。感動に浸りながら、詩人は旅立ちのきっかけを振り返ります。よみがえってくるのは、「さあ、主の家に行こう」と声をかけて励ましてくれた主にある信仰者たちの存在でした。 エルサレムにある主の家を目指す。それは、この詩人が一人で思い立ったことではなかった。「さあ、主の家に行こう」と励ます交わりがあるからこその旅立ちでした。こうした主にある交わりの存在は、礼拝者の歩みが決して孤独ではないことを物語っていますね。一人の礼拝者の周りには、その人を励まし支える兄...
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