皆さんは、「冤罪」という言葉を知っておられると思います。冤罪とは、「無実の罪」を意味する言葉です。実際には犯罪者でないのに犯罪者として扱われることを指す、いわゆる「ぬれぎぬ」です。最近の有名な冤罪としては、袴田事件(はかまたじけん)があります。1966年(昭和41年)6月30日に日本の静岡県清水市の民家で発生した強盗殺人・放火事件。現場の家に住んでいた味噌製造会社専務の一家4人が殺害されて金品を奪われ、家に放火されました。そして後日、同社の従業員だった袴田巌が逮捕・起訴され、後に死刑判決が確定しましたが、その取り調べは過酷を極め、炎天下で一日平均12時間、最長17時間にも及び、水も与えずトイレにも行かせず、精神的・肉体的拷問が繰り返されたと言います。そして、この冤罪の汚名を晴らすために60年もの月日を費やして戦ってきた姉、ひで子さんは、もう 92 歳になるそうです。そうして、彼女はカトリック信者です。きっと、神さまはすべてをご存じだという信仰、そしてきっと無実を晴らしてくださるという信仰が、彼女を支えたのではないかと思うのです。 今日の聖書箇所には、冤罪によって、死刑に処せられた一人の男が出てきます。イエス・キリストです。そして、無実だと知りつつ、死刑を言い渡した裁判官、総督ピラトが出てきます。今日は、そんなピラトの心の動きを、彼の言葉から追っていきたいと思います。 ① あなたはユダヤ人の王なのか(2節) 前の晩、ユダヤ人の最高法院による協議が行われました。協議とは名ばかり。そこでは、はじめに判決ありの、でっちあげの証言がなされ、まずは、イエスの宗教上の罪が確定しました。大祭司がイエスさまにした質問します。14章61節「おまえは、ほむべき方の子、キリストなのか。」つまり、「おまえは、この天地万物の創造主であり、今も統べ治める王の王である神の子、やがてはイスラエルを救う救世主、メシアなのか?」という問いです。するとどうでしょう、それまで、いくら不利な証言をされても何もお答えにならなかったイエスさまは口を開きます。「わたしが、それです。あなたがたは、人の子が力ある方の右の座に着き、そして天の雲とともに来るのを見ることになります。」(62節)そして、その最高法院でイエスは、死に値するということになりました。けれども、当時のユ...
毎週の主日礼拝メッセージをこちらに掲載します。音源もありますので、ぜひご利用ください。