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8月, 2021の投稿を表示しています

解放と自由(使徒の働き16:16~24)

「解放と自由」 使徒の働き16:16~24  「人身売買(人身取引)」というと皆さん何を思い浮かべるでしょうか。貧しい国々で行われている、親が子どもを売るというような、また人さらいが、子どもなどをさらって闇で売るというようなことででしょうか。そのようなことは確かに今も行われています。けれどもそれだけではありません。驚くほど安い賃金で、というより、奴隷状態で強制労働させられている人々も世界中には多くいます。例えば、日本人が大好きなりんごのマークのスマホの部品のために、インドネシアのスズ鉱山では、子どもたちが劣悪な環境の中で手作業でスズを集めています。また同じように例えばウイグル地区の人々の強制収容所の人々は、やはり部品製造のために長時間労働を強いられているということもわかっています。しかもこの人身売買は他国の出来事ではありません。日本でも行われています。主に性的搾取が目的で行われる、売春や風俗、接待と称した性的サービス業などです。  昨年4月、吉本興行に所属するお笑いコンビ「ナインティンナイン」の岡村隆史氏が、ラジオ番組でコロナで風俗店に行けなくなったと嘆く男性リスナーのメールにこんな風に答えました。「今は辛抱。『神様は人間が乗り越えられない試練はつくらない』言うてはりますから」「ここは絶対、乗り切れるはずなんです。コロナが収束したら、もう絶対おもしろいことあるんです。それは収束したら、なかなかのかわいい人が短時間ですかれども、お嬢(風俗嬢)やります。短時間でお金を稼がないと苦しいですから」「……だから今は我慢しましょう。今のうちにがんばって仕事して風俗にいくお金を貯めましょう!」これどう思いますか?コロナで経済的に窮地に追い込まれた女性、しかも普段は風俗で働かないような女性が、自分のからだを売らざるを得ない状況が来る。そしてそれを岡村氏らは、手ぐすね引いて待っているということです。そして多くの風俗店はコロナ禍の今店を閉じていますから、今は「パパ活」と称して、多くの未成年を含む女性たちが、非常にリスクの高い仕事をしています。日本にも人身売買はあるということ、そして奴隷状態の人がいるということをまずは覚えたいと思います。   さて今日の聖書の個所には、若い女奴隷が出てきます。彼女は占いの霊につかれていました。この「占いの霊」というのはつまり「悪霊」のことです

キリストのものとされて生きる(Ⅰコリント6:19-20)

  齋藤五十三  本日は『ハイデルベルク信仰問答』を皆さんと一緒に味わいたいと願っています。馴染のない方もおられると思いますので最初に信仰問答とはどういうものか。短く触れておきたいと思います。   1. ハイデルベルク信仰問答  教会にとって、信仰の内容を共有することはとても大切です。主イエスは、信仰告白の上に教会を建てると言われました。そのように兄弟姉妹が信仰を共有し、一緒に告白するための教材として 2000 年にわたって使われてきたのが信仰問答です。ハイデルベルク信仰問答は、宗教改革の時代の古都ハイデルベルクで生まれました。出版の理由は教会の中にあった、信仰理解を巡る混乱です。聖餐について様々な考え方がありました。ですから教会を信仰において一致させようとの意図をもって書かれたのです。一致が目的ですから、多くの人を受け入れる間口の広いスタンスになっていて、文章も穏やかなものになっています。それがよく現れているのが第一問です。   問 1  生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。 [1] 答 わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。  この方はご自分の尊い血をもって わたしのすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力から わたしを解放してくださいました。  また、天にいますわたしの父の御旨でなければ髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます。実に万事がわたしの救いのために働くのです。  そうしてまた、御自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、今から後この方のために生きることを心から喜び またそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。    印象に残るのは、「ただ一つの慰めは何ですか」との問いかけに対し、「わたしが … 真実な救い主イエス・キリストのものであること」というやり取りです。このやり取りの土台はⅠコリント 6 章 19-20 節。今朝はこの御言葉を通して、「自分は何者なのか」を思いめぐらして頂きたいのです。   1.     驚きの問い <Ⅰコリント 6 章 19-20 節>   19 あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受

剣を鋤に槍を鎌に(ミカ書4:1~5)

 「剣を鋤に槍を鎌に」 ミカ書4:1~5   預言者ミカの時代は、アッシリアが北イスラエルを滅ぼし、いよいよ南ユダ、エルサレムに迫ってくるという状況にありました。南ユダは、絶えず外敵による攻撃に悩まされ、戦争に次ぐ戦争で、人々は緊張と不安の中に置かれ、疲弊しきってていました。その上、国の指導者たちは腐敗し、私腹を肥やすことばかりに関心が向き、人々を顧みることをしません。また偽預言者が気休めの預言をし、神殿も貪欲な祭司たちによって汚されていました。ミカは3章までで、そんなイスラエルの指導者たちへの神のさばきを語っています。 ところが、 4 節になると一転、新しい幻、希望のメッセージが語られます。   「 4:1 その終わりの日、【主】の家の山は、山々のかしらとして堅く立ち、もろもろの丘よりも高くそびえ立つ。そこへもろもろの民が流れて来る。 4:2 多くの国々が来て言う。『さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。』それは、シオンからみおしえが、エルサレムから【主】のことばが出るからだ。」 終わりの日、戦いが終わり、真の平和が訪れます。その平和は、力を持った一国支配による平和ではなく、主が統治される平和であり、人々が神のことばを慕い求め、自発的に神に従うことによって生まれる平和だと言っています。   「 4:3 主は多くの民族の間をさばき、遠く離れた強い国々に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。 4:4 彼らはみな、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下に座るようになり、彼らを脅かす者はいない。まことに万軍の【主】の御口が告げる。」 そして主は、全世界の民を正しくさばき、争いごとを調停されます。こうして「彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す」のです。実は当時、ひとつのスローガンがありました。それは「鋤を剣に、鎌を槍に打ち直せ!」というものです。戦争のために農民たちを武装させ、武器を調達するのが目的です。しかし今、再び剣を鋤に、槍を鎌に打ち直せと言います。つまり、武器はもういらない。そしてそれらを、人を傷つけ、殺し、破壊する道具ではなく、人のいのちを生かし、養うための道具に変えよと言っ

主は彼女の心を開いて(使徒の働き16:11~15)

  「主は彼女の心を開いて」 使徒の働き16章11~15節  先週は、聖霊によって禁じられたために、二度にわたって計画変更を余儀なくされたパウロたち一行が、西の果てトロアスまで導かれ、そこで「マケドニアを渡って来て、私たちを助けてください」との幻を見たところまで読み進めてきました。そして、人の目には無駄な時間、回り道、挫折の連続に見える道でも、神さまの目には全て意味のあることなのだと確認したことでした。  さてパウロたちは、ただちにマケドニアに渡ることを決め、トロアスを出航しました。目の前には澄み切った青いエーゲ海が広がっています。同行者は、シラスとテモテ、そしてルカです。こうして彼らは、200㎞離れたネアポリスという港を目指しました。一気にそこまで行くには遠すぎます。そこで途中100㎞ほどの地点にあるサモトラケという小島に碇を下ろし、一晩碇泊をしました。そして、次の日、残り100㎞を航海し、ネアポリスに着きました。パウロたちにとっても未知の世界です。しかしながら、ここで伝道することは神さまのみこころだという強い確信がありましたから、彼らは意気揚々、新天新地に赴きました。  彼らは、港に着くとすぐに、そこから15㎞ほど内陸に進んだところにあるピリピという町に行きました。このピリピという町は、ローマの植民都市です。その昔アレクサンダー大王の父、フィリップ二世が金鉱開発のために開拓した町で、その名にちなんで「ピリピ(フィリッピ)」と呼ばれるようになりました。また紀元前42年にはオクタヴィアヌスがブルータスと共にカシウスをピリピ近くで打ち破り、紀元前31年には、さらにアントニウスとクレオパトラに勝利を治めたということで、その勝利を記念してピリピを植民都市としたのです。以後、この町は退役軍人が多く住み、人々は免税や自由を含むローマ市民の特権を享受しながら豊かな生活していました。  そのせいもあるでしょう。ピリピにはユダヤ人が少なかったようです。その証拠にユダヤ人の会堂(シナゴーグ)がありませんでした。当時はユダヤ人が10人いれば会堂を作ると言われていましたので、それはつまりピリピのユダヤ人は10人に満たなかったということです。12節には、「この地方の主要な都市」とありますから、人口も少なくなかったはずですが、創造主なる真の神を信じる人々は少なかったとい

マケドニアの叫び(使徒の働き16章6~10節)

  「マケドニアの叫び」 使徒の働き16:5~10   2週間空きましたが、パウロの第二次伝道旅行に戻ります。パウロはシラスと一緒にシリアのアンティオキア教会から派遣され、伝道旅行に出ましたが、途中リステラでテモテと出会い、彼も同行させることにして、 3 人でこの伝道旅行を続けました。先の伝道旅行で生まれた教会を訪問し、彼らを励まし、エルサレム会議の決議事項を伝えた後に、パウロたち一行は、今度は福音の未伝地に入って行って、伝道しようとしています。 こうして彼らは、リステラを後にして、そのまま西に向かい、アジアに入って行って伝道しようとしました。ここ一体もローマの属州でしたが、エペソのような大きな都市もあり、パウロはまずはこの一帯を制覇せねばと、思ったのかもしれません。私たちの教会は今年のイースターには、「ちいき新聞」にチラシを折り込んで配布しましたが。以前は、地図を広げて皆さん総出でチラシを配ったのではないでしょうか。手配りは暑さ寒さの影響も受けますし、犬に吠えられたり、心ない言葉をかけられたりとなかなか大変ですが、地図を区画に分けて、配り終わったところから少しずつ色鉛筆で塗りつぶしていくのは、達成感もあり、楽しいものです。 ところがパウロが塗りつぶそうとしていた地域への伝道は、できなくなくなりました。6節「それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。」どんな方法で聖霊は禁じたのかは、私たちにはわかりません。けれども神さまと親密な関係にあった3人ですし、シラスは預言者だといいますから、彼らははっきりとアジアに行くのは主のみこころではないと分かったのでしょう。そこで、一行は西に進むのをやめて、向きを変えて北上し、フリュギア・ガラテヤ地方を通って行きました。きっとパウロのことですから、「転んでもただでは起きない」精神で、道々も福音を宣べ伝えて歩いたのでしょう。こうしてミシア地方まで来ました。パウロたちは、ここまで北上したのだから、続けて北へ北へと向かおうとしました。そしてビティニア地方を目指しました。ところが、またしても「イエスの御霊がそれを許されなかった」のです。「聖霊によって禁じられる」と「イエスの御霊がそれを許されなかった」とではどう違うのかと思う方もおられると思いますが