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1月, 2022の投稿を表示しています

神のみこころなら(使徒の働き18:18〜22)

「神のみこころなら」 使徒の働き 18 章 18 ~ 22 節   さてパウロたちは、地方総督ガリオのもとに引かれて行ってから、なおしばらくコリントに滞在ました。「なおしばらく」というのは「かなりの日数」という意味です。恐らく数ヶ月はコリントにとどまったのではないしょうか。なぜ、「なおしばらく」コリントに留まる必要があったのでしょうか。考えられる理由として3つあります。一つは幻でパウロに語られた言葉が実現するためでした。幻というのは、イエスさまが「わたしがあなたともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。」と語ったその幻のことです。その幻は確かに実現し、パウロたちは何の危害も加えられないまま、コリント宣教の日々を最後まで過ごしました。何も追い出されてコリントを出ていくわけでははないということです。また、もう一つの理由として、パウロはなるべく長くコリントに滞在し、教会の基礎をしっかりと作っておきたかったという思いもあったと思います。コリント教会は、コリント人への手紙を見てもわかるように、問題の多い教会でした。コリントでキリスト者として生きていくことは、簡単なことではなかったのです。ですから少しでも長く留まって、教会の土台を築き、キリスト者は何を信じているのかという教理をしっかりと教えたかったのでしょう。そしてもう一つは、当時はシリアまで行く地中海航路の定期便は、それほど多くなく、比較的穏やかな季節を選んで船が出ていたようです。ですからパウロたちは、その船の出航を待って、なおしばらく滞在したと考えられるでしょう。 こうしてパウロたちはコリントを発ちました。コリントの兄弟姉妹たちがお見送りに来てくれたのでしょう。彼らとの別れを惜しみながら、コリントを離れました。プリスキラとアキラも同行しました。ここでもプリスキラが先です。プリスキラはニックネームで正式な名前はプリスカなので、つまりルカはここでも「プリスカちゃんとアキラ」と呼んでいるのです。彼ら二人は次に碇泊したエペソにそのまま残ることになります。ひょっとしたら初めからそのつもりで、パウロと一緒にコリントを離れたのかもしれません。宣教のためには場所を問わない、身軽な信徒伝道者夫妻でした。今で言うと、テレワークが普及してどこでも仕事ができるようになったので、この際地方の無牧の教会の近くに引っ越して、

天の父を知る(マタイの福音書6:9、7:9〜11)

「天の父を知る」(マタイ 6:9 、7:9~11) 齋藤五十三師 1.      天の父を十分には知らない  本日の御言葉、マタイ7章9節から 11 節は、すぐ前の 7 節から 8 節の流れの中にあります 。 7 ~ 8 節  求めなさい、とイエスさまは私たちを励まします。「求めなさい。そうすれば与えられます」と。 原文のニュアンスを正確に伝えると、ここにあるのは粘り強さです。つまり、求め続けなさい。ただ求めるのではなく、ねばり強く、と。そういう励ましの中、イエスさまは 11 節で、天の父なる神がどのようなお方なのかを語っていくのです。    11 節  このように 7 節から 11 節を通して読むと、一つのことに気づかされます。ここでは、私たちの信仰生活の中でも重要な、祈りの生活、祈り方が、問題にされているのです。  簡単に言いましょう。私たちの祈りの在り方のどこかに課題があるのです。私たちには、祈ることにおいて、まだ足らないところがある。 だからイエスさまはここで「求め続けなさい」と励ましていくのです。 これは、実のところ、私たちが自分で思うほどには、祈り求めていないという現状の課題があってのことです。 ええっ、と思われるかもしれません。でも、実は、私たちは求めていない。イエスさまの目から見ればそうなのです。 自分で思っているほどには、求めていない。粘り強く、祈り求めではいない。 その根本の原因は、天の父を十分には知らないということです。天の父が、どんなお方か。良いものを惜しみなく豊かに与える父であることを、私たちは十分には知っていない。 それがあって、「求めなさい」と励ました後、イエスさまは 9 節以下で天の父を語り始める。 どうか一人一人胸に手を置いて考えて欲しい。 自分は本当に天の父を知っているのだろうか。この父に本当に求めて来たのだろうかと。   2.      日常生活の中で   イエスさまはここで、天の父なる神がどのようなお方か、そのことを私たちに教えようと、あるたとえ話を出してきます。それは、普通、世の中の父親が自分の子どもに対してどのようであるのかという、きわめて日常的な話題でした。   9 ~ 10 節  これはイエスさまが得意とするたとえ話の一つです。でも、どうでしょう。 パンと石、魚と蛇が並んでいるこれらのたとえ話を

律法に反するやり方で(使徒の働き18:12〜17)

「律法に反するやり方で」 使徒の働き18:12~17 長かったコリントでの宣教が終わります。長かったとは言っても 1 年半。私が新船橋キリスト教会に赴任してから 1 年と 10 カ月経ちますから、そう思うとあっという間です。初めの頃こそ、ユダヤ人たちから会堂を追い出されるなどの衝突がありましたが、集まりを会堂の隣りのティティオ・ユストの家に移動してからは、比較的落ち着いて、自由に伝道をすることが出来ました。なにしろ今回は、「恐れないで語り続けなさい。…わたしがあなたと共にいるのだ。あなたを襲って危害を加える者はいない!」との神さまの守りの保証付きでした。パウロはコリントで合流したテモテやシラス、そして同業者であり、同労者でもあったアキラとプリスキラと共に、精力的に伝道に励みました。その甲斐あって、多くのユダヤ人、ギリシア人などの異邦人が救われました。教会形成に終わりはありません。第一次伝道旅行、第二次伝道旅行の中では、一番長い滞在期間でしたが、まだまだ、やるべきことがあった事でしょう。けれどもパウロが福音を運ぶべき宣教地は、たくさんありましたから、今日これから扱う出来事を最後に、パウロはコリントを後にすることになります。   12節「ところが、ガリオがアカイアの地方総督であったとき、ユダヤ人たちは一斉にパウロに反抗して立ち上がり、彼を法廷に引いて行って」  このガリオと呼ばれる地方総督ですが、彼は優秀ないわゆる「できる男」だったようです。彼は知的レベルの高い家で生まれました。父親は偉大な哲学者の大セネカでしたし、弟はローマのネロ帝の師にしてブレーンだった小セネカです。まさに「ローマの知性」とも言えるこの一家の血を受け継ぐガリオも知性的な人で、ローマの直轄地であるアカイア地方の総督まで上り詰めたのでした。彼の地方総督だった時期は AD 51年 7 月~52年 6 月です。ガリオの名が記された碑文も見つかっていますので、まず確実です。このように歴史上の人物をしっかりと明記して、作り話ではないことを証明するところが、歴史家ルカらしい記述です。  さて、ガリオの裁判は見事なものでした(裁判はしないという裁判でしたが)。ユダヤ人たちは、多くの仲間がキリスト教に回心するのを腹立たしい思いで見ていました。そして今までは、一部のユダヤ人たちがギリシア人たちを扇動して、パウロ

世の光として(マタイの福音書5:14〜16)

「世の光として」 マタイの福音書5:14~16 皆さんご存知のように、マタイの5章から7章は、「山上の説教」「山上の垂訓」と呼ばれているとても有名な聖書箇所です。イエスさまは、山に登られると、そこに腰を下ろし、弟子たち(恐らく12弟子だけではなく、広い意味の弟子たち)に教えを語り始めたのです。出だしはあの有名な「幸いシリーズ」でした。「心の貧しい者は幸いです」というあの教えです。そして最後「義のために迫害されている者は幸いです」と教えられ、そのことについてすこしばかり補足説明したあと、今日の箇所、「あなたがたは地の塩です。」「世の光です」と話されたのです。  今年の年間聖句は「あなたがたは世の光です。」としましたが、別に「地の塩です」でもよかったのです。けれどもアドベントからクリスマスにかけて、今年は「光」について、私自身さんざん語って来ましたので、その流れで「光」にこだわってみました。    イエスさまは「あなたがたは世の光」だとおっしゃいました。皆さんがイエスさまにこんな風に言われたらどう思うでしょうか。「〇〇さん、あなたは世の光です」「いやいや、私なんかまだまだ」「光なんて、とんでもない!」言ってしましそうです。けれども、この「あなたがたは世の光です」というみことばは、努力目標でも、「こうありなさい」という命令でもなく、単なる事実の宣言なのです。少なくともイエスさまは、私たちのことを「世の光」と見なしているということです。またこの冒頭の「あなたがたは」という言葉は、ギリシャ語を見ると、強調的表現で「あなたがたこそは!」「あなたがただけが!」と言ってもいい表現です。イエスさまを信じている私たち、イエスさまとつながっています。そして私たちは聖霊を心に住まわせています。そしてそんな私たちについて、イエスさまは、「世の光」と呼んでくださったのです。なぜなら、イエスさまご自身が、「私は世の光です」(ヨハネ9:5)と言われているからです。アドベントには、「すべての人を照らすまことの光が世に来ようとしていた」(ヨハネ1:9)と学びました。「全ての人を照らすまことの光」、それこそイエス・キリストご自身です。ですから、そのイエスさまとつながっている私たちには、光が流れ込んできます。こうして月が太陽の光を反射して光るように、私たちは光り輝くことができるのです。なぜなら

彼方の国より(マタイ2:1~12)

今日は主の「公現の主日」です。正確には1月6日が「公現日」や「顕現日」と言い、1月6日に一番近い主日を公現の主日と言うようです。この日は、東方の博士たちが、イエス・キリストを礼拝したのにちなんで、異邦人にもキリストが現れてくださったことを記念しお祝いします。こうしてこの後、公現後第一主日、第二主日と続いて、それが終わって、受難節、イースターと続くわけです。今日の説教題と説教個所を見て、お正月にクリスマスのお話し?と思った方もいらっしゃると思いますが、教会の暦(こよみ)からすると、今主日は東方の博士のお話をするのが一番ふさわしい日なのです。   1.      ユダヤ人の王としてお生まれになった方 さて、博士たちは東の国で不思議な星を見たので、エルサレムにやって来ました。博士とは言っても、天文学者というよりは、むしろ占星術師と言った方がいいでしょう。いわゆる星占いをする人です。しかも彼らは東の国に住んでいました。東の国と言えば、バビロニア帝国、アッシリア帝国、ペルシア帝国と、どれをとっても昔からイスラエルを苦しめ、制圧してきた国々です。イスラエルは歴史の中で絶えず、東の国の脅威にさらされてきたのです。 神さまの選びは不思議ではないでしょうか。キリストの誕生は、ほんの一握りの人にしか知らされなかったにも関わらず、遠く離れた東の国、歴史の中でイスラエルと絶えず敵対関係にあった国の、しかもイスラエルでは忌み嫌われ、禁じられてきた占い師たちに知らされるというのはどういうことでしょうか。これはイエス・キリストが、ユダヤという一国の救い主ではなく、世界の救い主であることを表しています。また、国や身分や職業や律法の枠さえ超えた救い主なのです。 こうして不思議な星を見た彼らは、星を頼りに西へ西へと旅をしました。途中盗賊や野獣などに襲われる可能性もありますから、彼らはキャラバン隊を組んで、たくさんの食料と生活必需品を積んで、ラクダに乗って長い時間をかけて旅をしたことでしょう。そこまでする目的は何だったのでしょうか。聖書を見ると、それは「ユダヤ人の王を礼拝するため」でした。これは驚きです。どうしてローマの属国である小さな国ユダヤに王が生まれたからと言って、遠く東の国から出向いていく必要があったのでしょうか。彼らは知っていたとか思えません。この「ユダヤ人の王」は、すっか