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10月, 2022の投稿を表示しています

それをここに!(マタイの福音書14:13〜21)

「それをここに」~主の手の中を見つめて~ (マタイ 14:13-21 ) 齋藤五十三師   13   それを聞くと、イエスは舟でそこを去り、自分だけで寂しいところに行かれた。群衆はそれを聞き、町々から歩いてイエスの後を追った。   1.      牧会者のこころ  主イエスには、一人になる理由がありました。 その理由は、 14 章2節が記す、この地方の領主ヘロデの言葉です「あれはバプテスマのヨハネだ。彼が死人の中からよみがえったのだ」。バプテスマのヨハネは、神の預言者です。領主ヘロデの罪を真っすぐに指摘し、それで恨みを買い殺されてしまうのですが、主イエスの活躍を聞く中で、ヨハネの再来ではないかと、ヘロデはイエスを恐れるのです。 主イエスに対する身の危険が現実的なものとなりました。それを聞いて主イエスは、寂しい所に行って一人になろうとする。 ところがところが、その計画を群衆は許さない。彼らは歩いて主イエスを追いかけたのです。 そんな群衆に対する主イエスの対応は、これまた印象深いものでした。   14   イエスは舟から上がり、大勢の群衆をご覧になった。そして彼らを深くあわれんで、彼らの中の病人たちを癒やされた。    主イエスには、一人になる時間が必要でした。しかし、群衆を見ると、すぐに自分の時間を手放していくのです。 人々の必要を見て、すぐに自分の時間を捧げていく。牧会者、伝道者たるや、こうあるべし、と教えられるところでしょうか。 若い頃、私を指導してくださった先生に私もよく言われたものです。「牧会者は、すぐに自分の時間を手放すべきだ」と。そして、そういうものだと思って、私も今日まで奉仕してきました。  でも、この場面のイエスさま、よく見ると、「こうあるべき」という義務感で時間を手放したわけではないようです。「彼らを深くあわれんで」とあったでしょう。 原文のニュアンスは、腹の底から感じるほどのあわれみ、簡単に言えば「愛」です。 私たちはここで、牧会者としての主イエスのハートに触れているのだと思います。    私たちの教会は、食糧配付を通じて、地域に仕える活動をしています。地域への証しとか、昨今は、東日本大震災以降、教会が地域の福祉を担って人々に寄り添うことの大切さも強調されていますので、私たちの活動には、そういった目的が確かにあると思

神の前に生きる(使徒の働き23:1〜5)

「神の前に生きる」 使徒の働き23:1~5 22章では、パウロが敵意むき出しのユダヤ人を前に弁明する場面が描かれていました。そして、パウロが自分は異邦人宣教に召されているのだとのくだりに来ると、ユダヤ人は再び大騒ぎを始めました。そして暴動が起きそうになったので、ローマ軍の千人隊長は、パウロを兵営に連れて行きます。そして、ユダヤ人が何を訴えているのかを知るために、ユダヤ人の最高法院、つまりサンヘドリン会議を招集し、パウロを彼らの前に立たせたのでした。 パウロは、群衆の前に立たされると、議員の一人ひとりの顔を見つめました。パウロも以前は、議員の一人でした。その時彼は、キリスト教徒迫害の議決を取る時に、賛成票を投じたと、26章で回顧しています。そうだとすると、そこに集まっている議員の中には、知った顔もあったことでしょう。パウロは以前は彼らの中で、クリスチャンを迫害していたのだと当時の自分を思い出して、胸が熱くなったかもしれません。そして彼は以前の仲間たちに、「兄弟たち」と呼びかけたのです。 1節後半「兄弟たち。私は今日まで、あくまでも健全な良心にしたがって、神の前に生きてきました。」 こんなことを言うと、彼らがどんな反応をするのか承知の上で、パウロはこう言ったのです。パウロは、ピリピ人への手紙3章6節で、こんな風に言っています。「その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした。」そうなのです。パウロの真面目さ、律法を行う熱心は、教会を迫害するほどだったのです。恐らく、パウロを知っている議会の人々は、「確かに彼は誰よりも律法に忠実だった」と納得したことでしょう。ところが、この発言に異常なまでに反応したのが大祭司アナニアでした。彼は、「パウロのそばに立っていた者たちに、彼の口を打つように命じました。」 パウロのそばに立っていた人は、おそらくローマ兵でしょうから、パウロがローマ市民であるとわかった今、彼に手を出すことはできません。そこでパウロはアナニアに言いました。「白く塗った壁よ、神があなたを打たれる。あなたは、律法にしたがって私をさばく座に着いていながら、律法に背いて私を打てと命じるのか。」とかく保身に走り、言いたいことを言えない私たち日本人からしたら、パウロの発言は衝撃です。 「白く塗った壁」とは何でしょう

心合わさる祈り(詩篇86:6〜11)

『心合わさる祈り』 詩篇86:6-11   1、詩人の願い (6,7節) ・『 苦難の日に私はあなたを呼び求めます 』(7)  苦しみの中で神に祈る状況を書き記す。私たちも、苦しみの中での祈ることがある。 2、賛美(8-10節)  詩人は具体的な願いを祈る前に、主をほめたたえる・賛美する祈りを献げる。 ・『 神々のうちで 』:まことの神が、人の造り出した偶像、御使いなどの天的存在と比べられない。 ・『 すべての国々は…伏し拝み 』:全ての人にほめたたえられ、礼拝されるべきお方である。 ※この詩人は、神を賛美し、その中で神はどのようなお方かを思い巡らす。 3、心合わさる祈り(11節)  神への賛美を通し、神がどのようなお方かを思い巡らす時、私たちの祈りは変えられる。 ・『 あなたの道を教えて下さい 』:神が人間に期待される道を進ませて下さいとの願い。 ・『 私の心を一つにしてください 』:神の御心に自分の思いを合わさせて下さいとの祈り。  投げやりの姿勢や妥協でもなく、「神の御心が必ず最善である」という確信の祈り。  祈りの中で、神への賛美を通し、神の偉大さ・神の素晴らしさを思い巡す時、その神のなされることが必ず最善であるという、神への信頼をより強固にさせる祈りに結ばれていく。 松戸福音教会 山田契実

生まれながらのローマ市民 (使徒の働き22:22~30)

「生まれながらのローマ市民」 使徒の働き22:22~30  パウロの弁明は、まだ終わっていませんでした。けれどもパウロの話が、「神が『行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす』と言われた」というくだりまで来ると、それまで静かに聞いていた人々が、突然大騒ぎを始めました。また暴動が起こりそうな勢いで人々は声を張り上げて「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない!」とわめきたて、上着を放り投げ、ちりを空中にまき散らしたというのです。ちりを空中にまき散らせば、自分たちの目に入ったりして、痛い思いをすると思うのですが、とにかく怒りでパニック状態になってしまい、自分が何をしているのかもわからなかったということでしょう。   ユダヤ人たちは何に対してこんなに強烈に反応したのでしょう。「異邦人」です。そういえば、この暴動のきっかけとなったのも、パウロが異邦人を神殿に連れ込んだというデマが流れたからでした。彼らは、神が異邦人も救いに招き入れたというパウロの主張が許せませんでした。そうです。彼らは、自分たちこそ神から特別に愛されている選びの民だとの自負がありました。救いは、自分たちだけに与えられている専売特許。異邦人でこの救いに預かりたければ、割礼を受け、自分たちと同じように律法を守らなければならない!そう思っていたのです。   再び暴動が起こりそうな気配を感じたローマ軍の千人隊長は、慌ててパウロを兵営の中に引き入れるように命じました。そして、なぜ人々がこんなにもパウロに対して怒鳴っているのかを知るために、むちで打って取り調べるように百人隊長に命じたのです。「むちを打って取り調べる」というのは、つまり拷問でしょう。そんなことをしなくても、パウロがうそを言ったり、何かを隠していたりするはずがないのにです。千人隊長から命令を受けた百人隊長は、パウロをムチ打つために、兵士に命じ、パウロの手足を広げました。当時のローマのむち打ち刑は、受刑者の手足を広げて、それぞれを柱に括り付けて行うものだったようです。パウロはされるがまま、手足を縛られました。ところが彼は、ふと思いついたように、そばにいる百人隊長に言いました。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むちで打ってもよいのですか。」パウロは自分の弁明の最後に、主が「早く、急いで離れなさい!」「行きなさ

パウロの弁明③(使徒の働き22:17〜21)

「パウロの弁明③」 使徒の働き22:17~21 「パウロの弁明」、「パウロの救いと召命のあかし」と言ってもいいでしょう。今日はその 3 回目です。パウロはダマスコ途上でイエスさまと劇的な出会いをしたあと、ダマスコへ向かいました。そして、ダマスコで祈っていると、主がアナニアを遣わしたので、パウロはアナニアに祈ってもらい、再び見えるようになり、バプテスマを受けたのでした。 17節は「それから」で始まります。22章は、パウロがユダヤ人に弁明をしている場面ですから、詳細にすべてを語るわけにはいかないのですが、この「それから」には約3年の月日が流れているという解釈が一般的です。パウロの回心について書かれているオリジナル版9章を見ると、こんな記述があります。19節後半「サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと共にいて…イエスのことを宣べ伝えていた」23節「かなりの日数がたち、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、彼らの陰謀はサウロの知るところとなった。…そこで、彼の弟子たちは夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁伝いに釣り降ろした」26節「エルサレムに着いて…」とありますから、使徒の働きだけを見ると、それほど時間が経っているようにも見えないのですが、実はガラテヤ書には、こんな記述もあります。ガラテヤ1:17~18「私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず、すぐにアラビアに出て行き、再びダマスコに戻りました。それから三年後に、私はケファを訪ねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。」まとめるとこういうことです。パウロはダマスコでバプテスマを受け、アナニアの仲介で教会の仲間にも入れてもらい、数日の間、宣教活動をしたのですが、その後アラビアに出て行ったというのです。理由は書かれていないのでわかりません。ただ、以前のパウロがあまりにひどい迫害者だったこともあり、ユダヤ人とも教会とも、少し時間と距離をとった方がいいと判断し、そのようにしたのかもしれません。あるいはパウロは新しい働きを始める前に、まず神さまの前に静まる時が必要だったのかもしれません。彼は一人アラビアに退き、リトリートのような時を持ち、充電期間とした可能性はあります。そういえば、旧約聖書のモーセも、イスラエルの民をエジプトから連れ出すという召しを受けたとき、その熱心さと張り切り?の