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7月, 2023の投稿を表示しています
  闇から光に! 使徒の働き26:13~18 パウロの回心の記事は、使徒の働きで3回出てきます。前回は9章と22章でした。この3つの記事は、全く同じというわけではなく、それぞれ特徴があり、強調点があります。例えば、前のパウロの回心の記事では、アナニアが登場し、アナニアを通してパウロに神からの召しと使命が告げられたことになっていますが、今回、アナニアは登場しません。そして復活のイエスさまご自身が、パウロに直接語りかけ、福音宣教の使命を与えられたということが強調されています。今日は、私たちもイエスさまの直接的な語りかけを聞いていきたいと思います。12~13節をお読みいたします。   このような次第で、私は祭司長たちから権限と委任を受けてダマスコへ向かいましたが、その途中のこと、王様、真昼に私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と私に同行していた者たちの周りを照らしました。   パウロは、祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコに向かい、クリスチャンたちを迫害しようとしていたとあります。昔、「親分はイエス様」という映画がありました。やくざだった人が救われて、人生の親分が、組長からイエスさまに変わったという映画です。パウロも、ダマスコに向かう時には、祭司長たちから権限と委任を受けていたのですが、ダマスコ途上で救われて、親分が変わりました。イエスさまが、彼の親分になり、パウロに権限と委任を与えるお方になったのです。 さて、パウロがダマスコに向かう途中に、天からの光を見ました。私はパレスチナには行ったことがありませんが、インターネットで調べてみると、雨季と乾季があり、乾季の時には、昼間は灼熱の太陽が照り付け、非常に乾燥しているとありました。今、日本は真夏で、太陽がぎらぎらと照り付けていますが、「真昼に天からの光」と聞いて皆さんどう思うでしょうか?しかもそれは太陽よりも明るく輝いて、パウロと同行者たちの周りを照らしたというのです。想像を絶する明るさ、輝きです。そうでした。神は天地創造の初めに、「光よ、あれ!」とおっしゃったお方でした。第一ヨハネの1章5節では、「神は光であり、神には闇が全くない」とあります。神は光そのものです。全き光である神を前に、人は立っていられるでしょうか。罪や汚れを持つ人間が、一点の影も曇りもない神の前に立ちおおせる

神の子どもたちの現れ(ローマ人への手紙8:18~20)

「神の子どもたちの現れ」 (ローマ 8:18-25 ) 齋藤五十三    本日は、神の子どもシリーズの最終回、神の子どもたちの「将来」についてです。神の子どもたちの旅路にはどんな苦難があり、また最後には何を受け継ぐことになるのか。共に御言葉に聴いていきたいと思います。  お祈りします。   まずは、以前に学んだ 16-17 節に目を留めましょう。(読む)  聖霊は別名「子とする御霊」とも呼ばれて、神の子どもたちを支えています。 聖霊は私たちを励ましているのです。「あなたは神の子どもだ」と心に語りかけながら。 これが聖霊の証しですが、聖霊は単に、神の子どもの自覚だけでなく、将来の相続をも指し示すのです。「子どもであるなら、相続人でもあります」。子どもには、親の資産を相続する権利がある。 これは、世間では当たり前ですが、神の子どももそうです。神の子どもは、神の国の豊かな宝、その栄光を受け継ぐことを約束されている。 ただし、栄光に至る道のりは、容易いものではないのです。   1.      苦難と栄光の間  「私たちはキリストと、栄光をともに受けるための苦難をともにしている」とパウロは語ります。 神の子どもたちが栄光を受け継ぐための途上には苦難がある。しかも、私たちはその苦難をすでに味わっているのだと。  このように、苦難と栄光、この二つが、神の子どもの旅路における車の両輪です。二つは決して分かたれることはない。 神の子どもたちは、苦難に耐えて、やがて栄光を相続していく。 この苦難と栄光を掘り下げるのが、本日の聖書箇所です。   18 節(読む)  「苦難は ... 取るに足りない」。パウロは「苦難」が軽いから、こう言うわけではありません。後を読めば分かるように、これはうめき苦しむほどの苦難です。 でも、それを「取るに足りない」と言う。 それは、苦難の後に受け継ぐ栄光が素晴らしいからです。 しかし、この栄光は、普段は苦難のカゲに隠れて見えにくいのです。   ここまで話すと、私たちはこの「栄光」について詳しく知りたくなると思います。 しかし残念ながら、パウロはここで、その詳細を語ってはくれない、、。でも、詳細が語られないことは逆に、栄光が本物であることの証しです。だって、そうでしょう。 私たちが「言葉」に出来てしま

7月16日主日礼拝

兄息子への愛                                         日 時:2023年7月16日(日)10:30                場 所:新船橋キリスト教会                                         聖 書:ルカの福音書15章25~32節   1 ルカの福音書15章について  ルカの福音書15章では、イエスさまが3つのたとえをお話しになります。そのうちの3番目に「2人の息子のたとえ」があります。今日は、兄息子のたとえを中心にお読みいたします。  イエスさまが3つのたとえをお話しすることになったきっかけが15章1節から3節に書かれています。取税人たちや罪人たちがみな話を聞こうとしてイエスの近くにやってきました。その様子を見ていた、パリサイ人たちや律法学者たちがイエスを批判します。「この人、イエスは罪人を受け入れて一緒に食事をしている」と。そこで、イエスはパリサイ人たちや律法学者たちに3つのたとえ話をしたのです。  その結論は、最後の32節に書かれています。   「 だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」 イエスさまが3つのたとえをとおしてお語りになりたかったのは、「取税人や罪人がイエスのもとにきたことを喜び祝うのは当然ではないか。」ということです。1番目のたとえでは、失われた羊、2番目のたとえでは失われた銀貨が見つかりました。3番目のたとえでは、弟が死んでいたのに生き返りました。大いに喜ぶのは当然です。イエスさまは、3つのたとえを用いて、神さまから離れてしまった魂、すなわち、取税人や罪人が神さまのもとに帰ってくることの喜びがいかに大きいかをパリサイ人や律法学者に伝えることで、彼らの批判に答えたのです。 2 兄息子の不満   さて、3番目のたとえでは、前の2つのたとえとは違うところがあります。それは、25節から32節に書かれている兄息子の存在です。兄息子は、いつも父親に仕えていました。弟が帰ってきたその日も畑にいました。一生懸命に仕事をしていたのでしょう。ところが、兄息子が家に帰ってきますと、音楽や踊りの音が聞こえてきました。なんと、弟が帰ってきたというの

そして今!(使徒の働き26:1〜11)

「そして今」 使徒の働き26:1~11 さて、今回もパウロの弁明です。エルサレムの神殿で騒ぎが起こってから、すでに5回目の弁明です。パウロが異邦人を宮に連れ込んだとの誤解から暴動が起こり、集団リンチに遭ったパウロでしたが、九死に一生を得、ローマ兵たちに保護されたところで、向き直って、神殿に集まっていたユダヤ人たちに弁明したのが1回目。その後エルサレムにあるローマ軍の要塞で、ユダヤ人たちの最高議会が招集され、そこで弁明する機会を得たのが二回目。その時は、「復活はある派」のパリサイ人と、「復活はない派」のサドカイ人の分裂が起こり、ほとんど弁明できないまま終わったのでした。そして3回目は、千人隊長クラウディア・リシアの判断でカエサリアに護送された5日後に、大祭司アナニアと長老たち、そして弁護士テルティロが、総督フェリクスの前でパウロを訴えたときでした。そして、二年後、新しい総督フェストゥスが就任したのを機に、再びユダヤ人たちがカエサリアに訪れ、彼を訴えました。これが4回目です。ところが告訴に値するような証拠はなく、行き詰まったところで、パウロが「カエサルに上訴します」と申し出たのでした。ところが困ったことにカエサルに上訴するにも「告訴理由」がない。そこでフェストゥスは、アグリッパ王たちがカエサリアを訪れたのを機に、公聴会を開き、パウロに弁明させ、何か告訴理由の手掛かりになるものを見つけようとしたというのが今日の場面です。   26:1 「アグリッパはパウロに向かって、「自分のことを話してよろしい」と言った。そこでパウロは、手を差し出して弁明し始めた。」   パウロはアグリッパ王の前で、手を差し出し、語り始めるのですが、この場面はすでに聖書で預言されていたことでした。一つはイエス様が弟子たちに語られた言葉でした。ルカ21章12-13節「しかし、これらのことすべてが起こる前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害し、会堂や牢に引き渡し、 わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出します 。」そして二つ目が、パウロがダマスコ途上で回心した後に、パウロのもとに遣わされたアナニアにイエスさまが語った言葉です。使徒の働き9章15節「しかし、主はアナニアに言われた。「行きなさい。 あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選

矛盾を抱えたまま(使徒の働き25:23〜27)

「矛盾を抱えたまま」 使徒の働き25:23~27 フェストゥスは、パウロが皇帝に上訴したために、彼をローマに送るため必要な書類をそろえる必要がありました。一つは事件の報告書。もう一つが告訴理由です。報告書はなんとかなるでしょう。ユダヤ人たちが血眼になってパウロを殺害しようしており、反乱が起きかねない状況だということを記せばいいわけです。しかし問題なのは、告訴理由の方です。言い換えるとパウロの罪状です。何しろ、フェストゥスの見解としては、この裁判の争点は、「死んでしまったイエスが生きているかどうか」ということです。パウロはあくまで「イエスは生きている」と主張するのですが、それが告訴理由になるのかどうか…。フェストゥスは、頭を抱えていました。ところがそこに現れたのが、アグリッパ王とベルニケでした。彼らは新しく就任したフェストゥス総督にあいさつするためにカエサリアに来たのです。フェストゥスは、ユダヤ人である彼らなら、この事件に関心を持っているだろうし、告訴状に書けるような何らかのアイデアもあるはずだと、期待したのです。そして期待通り彼らは、「私も、その男の話しを聞きたいものだ」と関心を示してくれたのでした。フェストゥスは、内心躍り上がらんばかりに喜んで、「では明日、お聞きください」と約束してその日は別れたのでした。   2 5:23 翌日、アグリッパとベルニケは大いに威儀を正して到着し、千人隊長たちや町の有力者たちとともに謁見室に入った。そして、フェストゥスが命じると、パウロが連れて来られた。   「威儀を正して」という言葉は“ Fantasias ”と言って、後に「祭り」を意味する言葉になったということです。つまり、お祭りで着るようなド派手な仰々しい装いで彼らはやって来たのです。またそこには、フェストゥス総督と複数の千人隊長たち、そして町の有力者たちも集まりました。彼らが集まった部屋は「謁見室」とありますが、訪問中の来賓が訪れ、荘厳な儀礼や会見を行うときに使われた部屋だったようです。こうして来賓が勢ぞろいしたところで公聴会が行われることになりました。これは裁判ではありません。公聴会です。ひょっとしたらアグリッパ王などはちょっとしたショー、見せ物を観るような気分だったかもしれません。そんな期待が渦巻く中、パウロが連れて来られました。   みなさん、