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12月, 2025の投稿を表示しています

ダビデの鍵(ヨハネの黙示録3:7~13)

「ダビデの鍵」 (黙示録 3:7-13 )   1.    なぜ黙示録から 黙 3:7   また、フィラデルフィアにある教会の御使いに書き送れ。         『聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持っている方、彼が開くと、だれも閉じることがなく、         彼が閉じると、だれも開くことがない。その方がこう言われる ── 。 3:8   わたしはあなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることができない門を、あなたの前に開いておいた。あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。    フィラデルフィアは、有名なエペソの町から東へ 45 キロ入った内陸の町です。これと同じ名前の街がアメリカ東部のペンシルベニア州にもありますね。数々の映画の舞台にもなったアメリカのフィラデルフィアです。けれど実は、フィラデルフィアの本家本元は新約聖書の時代、現在のトルコの内陸の町だったのです。  フィラデルフィアとは、ギリシア語で「友情」とか「友愛」を表す言葉です。この町はぶどう栽培を除くと、主だった産業も無い、規模の小さな町だったようです。しかも地震の被害が頻発する町で、不安定で生活に窮する人々も多かったらしい。そんなフィラデルフィアの教会は、8節に「少しばかりの力があって」とありました。それはどうも、小さく弱い教会だったようです。その「少しばかりの力」しかない小さな教会に、主イエスは「ダビデの鍵を持つお方」として語り掛けていきます。    ここまで話を聴いて、皆さんの中にはおそらく、「クリスマス直後の主の日になぜ黙示録」と思われた方もあるかもしれません。本日は降誕後第一主日、まだまだクリスマスの余韻を楽しむ季節です。そんな日になぜ黙示録… ? それは、七つの教会の手紙に現れる「キリストを待ち望む」姿勢が、クリスマスのメッセージと響き合うからです。 クリスマスに先立つ四週間を教会の暦では「アドベント」日本語では、救い主降誕を待ち望むという意味で、待降節と言います。アドベ...

2025年12月24日クリスマスイブ・キャンドル礼拝

「平和の君」(イザヤ9章 6 節)   6 節「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。 ひとりの男の子が私たちに与えられる。 主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる」。   1.     戦争の時代  これは、暗闇に差し込む一筋の光として語られた神の言葉です。少し前に遡った節には、「闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る」と約束されていますね。この背景には戦争があったのです。すぐ前の5節には、「戦場で履いた履物」や「血にまみれた衣服」が出てくることからも、お分かりいただけると思います。このメッセージは戦争の時代に語られたのです。  時代は紀元前8世紀のイスラエルです。長い戦争の挙句、アッシリアという大国の圧迫に苦しみ、人々は涙と嘆きの日々を過ごしていました。そのような時には、いつも子どもたちや女性、お年寄り等、弱い立場の人たちが犠牲となっていくのです。今の世界も「戦争の時代」になったと言われています。ウクライナで、イスラエルのガザで、多くの人々が苦しみ喘いでいます。ウクライナでは、もう 100 万人以上の死傷者が出たそうです。ガザでは 17 万の死傷者があり、何とその七割が子どもと女性。いったいいつまで続くのでしょう。 昔も今も、戦争は悲劇を生み、暗闇をもたらす。お読みした聖書の言葉の背後にも、そんな暗い闇があったのです。   2.     神の助けを待つ人々  そうした時代の中、信仰者たちは祈り続けていました。神さま、どうか私たちを救ってください。争いが終わり、闇を光が照らし、平和な時代がくるように。信仰者たちは祈り続けていた。そんな祈りに応えて、神の言葉を伝える預言者イザヤが、6節を語ったのです。 6節(読む)  これは不思議な言葉です。戦争と敵の圧迫を終わらせ、闇の中に光を灯すために、ひとりの男の子が生まれる、というのです。主権がその肩にあると言いますから、この子は、やがて王座に就く王子さまでしょうか。しかし、それにしても不思議な言葉なので、これを聞いた時、誰もこの意味が分からなかったと思います。 その男の子は「不思議な助言者」と言われます。知恵があるのです。小さな男の子...

羊飼いに届いた福音(ルカの福音書2:8~20)

  「羊飼いに届いた福音」 ルカの福音書2:8~20 先週は、ローマ帝国の皇帝アウグストゥスから、住民登録をせよとの勅令が出され、ヨセフと身 重のマリアが、ナザレからベツレヘムに旅をすることになったところから始まりました。長旅を終 えて、やっとベツレヘムの町に着いたものの、町は住民登録のために、ごった返していて、宿をと ることができず、彼らは、やむを得ず家畜小屋に泊まり、そこでマリアは出産し、赤ちゃんのイエ スさまを飼葉桶に寝かせた、というところまでお話ししました。  8-9節「さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。すると 、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」 羊飼いの仕事は過酷でした。乾燥したパレスチナ地方で、羊たちに牧草を食べさせることは、簡 単なことではありません。また、羊たちが迷わないように、群れ全体に目を配り、野獣などの外敵 から羊たちを守らなくてはいけません。「羊飼い」は、英語で“Shepherd”と言いますが、もう一 つの言い方は“Pastor”です。日本語の「牧師」は、英訳すると“Pastor”ですね。牧師は、神さまにゆ だねられている群れを牧会し、羊たちをみ言葉で養い、群れ全体に目を配り、悪い教えが入ってこ ないように、外敵から群れを守る使命があるのだなと改めて思いました。  さて、そんな羊飼いたちが、いつものように焚火を囲んで野宿をしていました。すると天のみ使 いが、彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたのです!「主の栄光」という言葉は、主の 尊厳、卓越性、完全性を表しています。そして、神さまの顕現、臨在を通して現れます。出エジプ トの時、イスラエルの民は、その栄光を見て、ひどく恐れました。シナイ山で神がモーセに現れた とき、モーセの顔は、神の栄光の輝きを反射して、輝いたので、顔に覆いをかけなくてはなりませ んでした。また、神の栄光は、神の幕屋に満ち、のちに神殿に満ちました。それは人が近づくこと ができない、圧倒的な聖さと、御力の現われだったのです。ですから、羊飼いたちは、その栄光触 れたときに、すぐに地にひれ伏し、恐れました。当然の反応です。けれども、恐れる羊飼いたちに 、み使いは言うのです。 11‐12節 「恐れることはありません。見なさい。...

居場所がなくても(ルカの福音書2:1~7)

「居場所がなくても」 ルカの福音書2:1~7   2章は、イエスさまがお生まれになったバックグラウンドから始まります。皇帝アウグストゥスの治世に住民登録をせよという勅令が出されます。アウグストゥス(本名オクタヴィアヌス)は、紀元前27年から紀元14年にローマ帝国を治めていた歴史上の人物です。アウグストゥスという称号の意味は、「尊厳なる者」という意味を持ちますが、読んで字のごとく、彼はローマの内戦を終結させ、初代皇帝として40年も治め、約200年もの平和を全ヨーロッパ、シリア、エジプト、地中海世界全域に実現させた歴史上最も偉大な指導者の一人と言えます。 このような時代背景を見るにつけ、神の子イエスさまは、この地上に生まれるのに最も適したときに生まれたことがわかります。神さまは、この時期を目指して、救いの準備をされてきたのです。この時代より前でもだめだった、この時代より後でもだめだったということです。この時代がベストだったのです。その理由をいくつかあげましょう。 まずは、先ほど言いましたように、この時代はそれまでになく、平和だったのです。ローマによる平和は「パクスロマーナ」と言いますが、このような平和な世界で、交通網が発達し、すべての道はローマに続くと言われるようになりました。交通網が整備されるということは、人々の移動が容易になったということです。また治安と行政制度が安定していたことも挙げられます。こうして、イエスさまの福音はやがて、短期間に広く世界に広がっていったのです。 二つ目は、共通語としてのギリシア語(コイネー・ギリシア語)が広く使われたので、新約聖書がこの言語を通して書かれ、また、旧約聖書もギリシア語に訳されて、異なった民族や文化にも直接聖書のメッセージが伝わったのです。 三つめは、メシア待望の高まりが最高潮になっていたということです。イスラエル民族は、長いバビロン捕囚を経て、今はローマ支配への苦しみを経験しました。そんな中でかつてないほどの救い主、メシア到来への期待が高まっていたのです。 聖書はこの時代を「時が満ちた」と表現しています。イエスさまの先駆者バプテスマのヨハネは、「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と荒野で叫びました。まさに、この時代は時満ちた時代だったのです。   ...

エッサイの根株から(イザヤ書11:1~10)

「エッサイの根株から」 イザヤ書11:1~10   イザヤ書には、たくさんのメシア預言がありますが、今日の聖書個所は、数あるメシア預言の中でも、クリスマスによく読まれる預言の一つで、メシア(キリスト)がお生まれになる予告にとどまらず、当時の大国アッシリアやバビロンへの裁きの預言、また、来るべき新天新地の預言まで内包されているスケール大きな預言なのです。私は、この説教を準備をする中で、この短い10節に、本当に豊かなメシア(キリスト)の姿と、メシアであるイエスさまが地上に来られることの大きな意味、意義が語られているのに、圧倒される思いでした。 1節「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」 。イエスさまが生まれる700年も前の話です。先週は大茄子川実習生が、イザヤ書6章から、イザヤが主に預言者として召されたときのことを語ってくださいました。今日の個所は、イザヤが召されてから20年以上経ったころの預言だと言われています。当時、世界を圧倒的な力で支配していたのは、アッシリアという超大国でした。アッシリアの強大な軍事力は全世界を覆い、イスラエルを含む小国は、その支配下に置かれました。神の民は、ダビデ王やソロモン王の頃の統一王朝から一転、分裂し、北イスラエルの10部族、南ユダの2部族に分断されていましたが、北イスラエルはすでにアッシリアによって陥落させられ、捕囚の民として引かれて行きました。南ユダも、神さまのあわれみによって、アッシリアの攻撃からは奇跡的に守られましたが、それでも神の前にへりくだることをせず、自らを誇り、その背信と傲慢のゆえに、やがてはバビロン帝国に滅ぼされ、多くの人々が捕囚としてバビロンに連れ去られることになります。そんな時代背景の中で、イザヤは、今日の個所の預言をします。   1 節「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。」 エッサイは、ダビデ王の父親です。ですから、これは、ダビデ契約が神に忘れられていないことを語っています。ダビデ契約とは、「わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」(Ⅱサムエル7:12-13)という約束です。ダビデの家系から...